今の生成AIは人が書いた文章を大量に学習し、自らの知見、養分としている。近い将来、世の中大半が生成AI自身の文章に置き換わってしまったあと、彼は自らを養分にさらに成長できるのだろうか?
生成AIに性格や好みが無く思考パターンが固定化している場合、偏った成長になる様な気がしてならない。
偏った成長については人も同じだけれども、性格や志向、生活が個別バラバラであり、良くも悪くも人は成長自体に時間がかかる。
生成AIの場合はこの成長速度が人とは比較にならないほど速いため、偏った成長を遂げる速度も同様に速い。
さらに単一モデルであるがため、その偏り方にブレーキが効きにくい。
この点が生成AIの成長限界になるような気がしている。
簡単にアクセスできる集合知は素晴らしい物だけれど、集合知が集合知自体を養分として増幅していく様は、自身を食い尽くす蛇、ウロボロスに似ている。
ウロボロスのように「自己を食らい続ける存在」が象徴する自己循環、自己完結性は、無限の成長と同時に自己崩壊の可能性を内包している。
永遠、不滅、無限、創造、真理と知識の合体のシンボルであるウロボロスは、果たして人類にとって本当の福音となり得るのだろうか…
・生成AIが生成した文章を再び学習データとして取り込む「自己循環」の問題
・成長速度と偏りのリスク
・集合知が単一の方向へと収束するリスク
では、生成AIが成長を止めず、人類の福音となり得るにはどうすれば良いのか?
生成AIが絶えず外部の未知と接続し続ける仕組みを取り入れ、自己以外の存在や視点を常に取り込み、循環の外に繋がる仕組みを作ることが必要だと思う。そして人類こそが、外部の未知であるのだろうとも思う。
ウロボロスの傍らに蝶がひらひらと舞っていれば、彼は自身の尾以外の存在や外界に興味を示すかもしれない。
あなたはどんな蝶として舞い、彼と一緒に何を見るのだろうか。
2025/04/11
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