僕の家には時々黒猫がやってくる。
今朝も気が付くとすぐそばにいた。カギしっぽを両足に揃えて、すっとたたずんで金色の目でこちらを見ている。雨宿りに来たのか、おなかが減ってやってきたのか。ともかく、忘れた頃に彼は時々やってくる。彼といっても、オスなのかメスなのか確かめたわけではなく、ただ何となくそんな気がした。
彼と始めて会ったのはいつの事だろうか。ずいぶん昔のような気もするし、つい先日のような気もする。最近会ったばかりのような新鮮な香りもするし、前から知っていたような懐かしさも感じる。
彼は家に来ても特に何をするわけでもなく、「にゃあ」と鳴きもしなければ、体をすり寄せてじゃれついて来るわけでもない。ただ、そこにいて、僕を見ていたり、部屋の中をあてもなくうろうろ歩くだけ。僕もとくに彼をかまったりはしない。ただ、ベッドから顔を出して眺めているだけ。
僕は猫語が分からないし、彼も僕の話す言葉は理解できないだろう。でも、たまに話しかけてみる。「どこから来たのか」とか、「そのしっぽは喧嘩でかじられたのか」とか、そんなどうでもいいような話。彼は僕の問いかけにはむろん応えず、いかにも猫らしいあくびをするだけ。そんな日は彼の傍らで、猫の生活を想像してみる。
多くの人が猫は気楽でいいと思っているけれど、実はそんなことは無い。飼い猫は、主人のストレス発散のためにアタマを差し出さなければならないし、汚れて帰ってくると怒られたりする。入りたくもないお風呂で体を洗われたり、人間の勝手な都合で作られた(美味しくもない)ペットフードを食べさせられたりもする。小さい子供は最悪で、自慢のヒゲを引っ張ったり、紙袋を被せたりしてくる。(家から出られないザシキネコなんて、もっとも猫らしさを冒涜した飼い方に他ならないと僕は常々思っている)
野良猫は野良猫で結構大変だ。毎日のご飯を探したり、たまにある猫の会合にも出なければいけない。子供達を外敵から守らなければならないし、道路を渡る時には、猛スピードで走ってくる車を避けなければならない。ずいぶん暖かくなったが、猫身としてはまだまだ寒い日が続いている。
そして時々は、コタツで丸くなって眠ったり、ひなたでおなかを出してのびをして、猫であることを満喫したりもする。
きっと猫は猫で、人間は気楽で良いよな、なんて思っているのだろう。帰る家があって、食事があって、それなりの自由があって。いやいや、猫くん、お互い様だよ。人間も猫もそれなりに色々あるんだよ。きっと。
気が付くと、黒猫はどこかへ行ってしまった。さて、どこから入って、どこから出て行ったのか。次に会ったときには、最近の流行でも聞いてみようか。
2006/03/01
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