天使の目を盗んで瓶詰めされたウイスキーは、少しだけ、躰と心にしみた。
初めてアルコールを口にしたのはいつのことだろうか。子供の頃、お正月の席で大人に混じって飲んだのが初めてだったような気がする。味覚というものは、成長とともに変化するもので、あまり美味しいと思わなかった様々なお酒を、今では当たり前のように口にしている。当時、苦くてとても美味しいとは思えなかったビールは爽快な味に変わり、妙な臭いのしたウイスキーは、今では進んで香りを楽しむ対象にさえなった。
先日、取引先との会議を兼ねた夕食の後、会社の上司に誘われて酒場に向かった。日付が変わる少し前にたどり着いた静かなBARには、私たち以外に客はいなかった。上司にお勧めのお酒を選んでもうと、薄山吹色の液体がグラスに注がれて運ばれてきた。
「ボウモア 3年」 ウイスキーは少なくとも10年位熟成させるものだと思っていたが、目の前のこのお酒はそうではないらしい。口に含むと、自分の知っているボウモアとは随分風味が異なることに気づく。先の夕食で既にアルコールが回っていた頭をゆっくりと回転させ、記憶をたぐり寄せる。自分が初めて飲んだシングルモルトは、おそらくボウモアだった。当時付き合っていた女性がオーダーしたウイスキーを、一口だけ飲んだ事があった。正露丸のような、お酒というよりは、むしろ薬品に近い味がした。その後に何度か飲んだボウモアも、やはり薬品のようで、みな個性的な味わいだった。
Angel’s Share-天使の分け前 と呼ばれる言葉がある。蒸留後に樽詰めされたウイスキーは、長い間眠りにつく。10年、20年、長いものになると50年もの歳月を樽の中で過ごす。スコットランド西に位置する小さな島-アイラ島のほぼ中央で、彼女達は生まれた。樽のゆりかごに揺られてるあいだ、変化する季節や、土の温もり、雨の冷たさ、潮の香りといった全てを記憶に留める。その記憶が溢れてしまわないように、時々天使がやってきて、樽の中で眠る彼女達を、天国へと連れて行ってしまう。(名だたる蒸留所が点在するこの小さな島には、たくさんの酒好きな天使が住んでいるに違いない)
あの夜出逢った薄山吹色の彼女は、眩しい位に若々しかった。そこには、無邪気な力強さが存在していた。これから迎える季節の数だけ、美しい色となり、豊かな香味となって、彼女達を形作ってゆくのだろう。
ふと耳を澄ませると、優しい寝息が聞こえたような気がした。
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